隣の芝の色
今年で美容師始めて17年目がスタートします。高卒からもう気付けば36歳。
幾度となくこうして自分のメディアに色々な想いや仕事の事など綴って来たけど去年から色々話題となるワードがある。
1つは『対ゆとり教育的な部分』更に『働き方』。【ゆとり】は【ゆとり世代】に合わせたやり方みたいなのが何となく確率しつつある。
簡単に言っちゃえばこっちが折れるという部分、思いっきり背中を押しながら転げ落ちないように支えながら目の前に人参をブラ下げる。。。なんて所だろう。
もう1つの『働き方』に関しては結構根深い。個人的意見としては『働く』事は同時に努力をする事だと思ってる。
いわゆる結果を求められる。シビアに。。
だからそれに対して報酬という形で帰ってくるのだと思う。『やってる。』『やった。やりました』そんなプロセスや個人の主張じみたものは皆無である。
ひょっとしたらすご〜い厳しいかとも思うけど逆に言えばそこに立ち向かう事が【働く事、働き方】に焦点が合うと思う。
《隣の芝は青く見えるのである》そんなもんだ。そんなに簡単にはいかない。様々なルールに従って壁を乗り越えたから手に出来てる部分を察しなくちゃならない。
《希望する部分》だけををすくい取って『イイな~』『なんでっ?』ってなる前にそんな時こそ、そこに至ったまでのプロセスを研究したりすべきなのに。
ここ分かれ道だよね。
『やりました。』『やってます』で自分の事ばかり押し通す人と『もう一回見直してみよう』と振り返り『乗り越えるべき壁を新たに模索して探す人』。
別に頭下げて『働いて下さい』
なんて言ってない。
順序や、ルールに沿って
それなりの道標があるだけ。
そこで考えるんだろうね
《隣の芝は青く見える》。。。
まさに分岐点。
《働き方でもあり当事者の生き方、様》
の部分。
重みや比較対象としては逸脱してるかもしれないけど100分の1秒到達しなかっただけなのに表彰台乗れない世界と然程意味合いは変わらない。
【そこにはルールがちゃんと設けてあるのだから。】
『こんなにやったのに。やってるのに』は自分の中で痛感して復唱し、次の努力の糧にするべき。情状酌量を先に求めるのは違う。誰も相手にしてくれるはずがない。
何よりも見つめ直して謙虚でなきゃいけないはず。本来は。。
【負けは負け】【次に繋げる意味のある負け】にするか【単なる私利私欲の自分勝手の負け】として都合よく解釈するかは本人次第。
全ては自分自身の根底の変化が必要。
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