F1層
切る事作る事
もっともっと沢山の人をカットしたい。
仕事として考えてる事は考えてるけど個人的にはボランティアみたいなのでもイイ。
なんかカットして形が変わって雰囲気変えられて『あ、イイかも。イイ感じ』みたいなそんなインスピレーションを貰うことが何より。
本当にその瞬間は美容師冥利に尽きる。もうこうなっちゃうとキレイゴトでもなんでも無い。
営業的理念でも無い。
形をハサミで髪を重ねながら作るのが本当に自分にとってアーティスティックな作業であってそれによって何か変わるんならダブルで嬉しい。
一日中ヘトヘトになるまで一度でいいから切ってみたい。
集中力を切らさないでね。
そんな日は来るのだろうか。
土日はそれに近い状態だけど、欲を言えば平日もずっとそんな時間軸で働きたい。
吉祥寺在住の方や一日に吉祥寺を利用する方の数パーセントでもいいから来てくれれば、、、なんて。
そんな忙しさは何よりも幸せだろうなぁー。
便利な@LINE
@LINEやってるんです笑。
かなり前から。
でもみんなプライベート用のいつものLINEと勘違いするみたい。
まあしょうがない。
当たり前です。
ややこしいんです。
LINEの前にただ@が付いてるだけですから。。
解りづらいよね。重複しますが@LINEにつきましてはまず友達申請して頂きまして気軽に施術の相談などして頂ければいいかなと思います。
画像も送れるし。質問などお待ちしています。
LINE@はこちらから
|
sacai
OLさんにオススメミディアムパーマ
長らく担当させて頂いてるお客様です。
何もしないとまっすぐ過ぎるほどの直毛ベースです。
ホントに矯正かけたのかと思うくらい真っ直ぐなんです。ヒトは無い物ねだり。
長年の悩みは『ボリュームが出ないでペシャンとしてしまう事』。
最近ようやく髪の毛が伸びて来たので前々から提案させて頂いたパーマをON
パーマといってもクルンっとした【THEパーマ】みたいなのはダメ。何故かというと印象がパーマだけになってしまうから。
オーダーはこんな感じです。
【ボリュームが出てフンワリ】
確かに【THEパーマ】的な仕上がりでもボリュームは出るからニーズにはハマりそうだけどそこは違う。というかこの辺りは美容師とお客様とのズレ。
この説明は省略します。
僕が思ったのはパーマはかけるんだけど外国人のような書き上げる度にカールや動きが重なりあって無造作な雰囲気になる事。
OLさんや働く方にとって髪の毛を下ろしても縛ってもどっちも2WAYでイケるってステキです。こなれた感じの雰囲気が好きな方にはとってもオススメです。
パーマはかけると【パーマかけたんですか?】という第一印象になりやすい。これがダメでは無いんですけどね。
個人的には【なんか雰囲気変わったね】に変えたい。そう言われて欲しい。
元々パーマするにあたってイメージを変えたいからって人もいると思うんです。カールや、waveが欲しいです(パーマ希望)っていう方も居るけど僕の中ではそれは数パーセントです。
美容師さんは【パーマの予約&希望】として形状の変化に走りがちな人もいるけどお客さんが求めてるのは今の時代チョット違うと感じる。
自分の毛束を使って(形状変化)それをアクセサリーの様に魅せて雰囲気を良くしたい!!そんな感じだと思ってます。
勿論カットとの組み合わせは重要です。ベースカット有りきで施術しています。
最終的に乾かして元々まっすぐだったお客様の髪の毛というよりかも雰囲気、顔の表情までも柔らかくなった時はそんな仕事ができた時は最高です。相談してね。
隣の芝の色
今年で美容師始めて17年目がスタートします。高卒からもう気付けば36歳。
幾度となくこうして自分のメディアに色々な想いや仕事の事など綴って来たけど去年から色々話題となるワードがある。
1つは『対ゆとり教育的な部分』更に『働き方』。【ゆとり】は【ゆとり世代】に合わせたやり方みたいなのが何となく確率しつつある。
簡単に言っちゃえばこっちが折れるという部分、思いっきり背中を押しながら転げ落ちないように支えながら目の前に人参をブラ下げる。。。なんて所だろう。
もう1つの『働き方』に関しては結構根深い。個人的意見としては『働く』事は同時に努力をする事だと思ってる。
いわゆる結果を求められる。シビアに。。
だからそれに対して報酬という形で帰ってくるのだと思う。『やってる。』『やった。やりました』そんなプロセスや個人の主張じみたものは皆無である。
ひょっとしたらすご〜い厳しいかとも思うけど逆に言えばそこに立ち向かう事が【働く事、働き方】に焦点が合うと思う。
《隣の芝は青く見えるのである》そんなもんだ。そんなに簡単にはいかない。様々なルールに従って壁を乗り越えたから手に出来てる部分を察しなくちゃならない。
《希望する部分》だけををすくい取って『イイな~』『なんでっ?』ってなる前にそんな時こそ、そこに至ったまでのプロセスを研究したりすべきなのに。
ここ分かれ道だよね。
『やりました。』『やってます』で自分の事ばかり押し通す人と『もう一回見直してみよう』と振り返り『乗り越えるべき壁を新たに模索して探す人』。
別に頭下げて『働いて下さい』
なんて言ってない。
順序や、ルールに沿って
それなりの道標があるだけ。
そこで考えるんだろうね
《隣の芝は青く見える》。。。
まさに分岐点。
《働き方でもあり当事者の生き方、様》
の部分。
重みや比較対象としては逸脱してるかもしれないけど100分の1秒到達しなかっただけなのに表彰台乗れない世界と然程意味合いは変わらない。
【そこにはルールがちゃんと設けてあるのだから。】
『こんなにやったのに。やってるのに』は自分の中で痛感して復唱し、次の努力の糧にするべき。情状酌量を先に求めるのは違う。誰も相手にしてくれるはずがない。
何よりも見つめ直して謙虚でなきゃいけないはず。本来は。。
【負けは負け】【次に繋げる意味のある負け】にするか【単なる私利私欲の自分勝手の負け】として都合よく解釈するかは本人次第。
全ては自分自身の根底の変化が必要。